今回のテーマが蕪村と若冲の作品から京菓子をデザインし、それを創るということであったようですが、そのイメージの原点の絵画に捉われすぎて、その絵の画題とその表現された絵画への理解が、どうも不足しているように見受けられました。
すなわちその絵画からあるイメージを起こし、それを菓子の銘とその菓子の姿かたちにまで表現するのが大事だということです。さらに言い換えますと、その菓子の銘を、素材と技術を活かして5cmそこそこの大きさと形でもって創造するということです。さらには実際の菓子になりますと、「おいしさ」「経済性」のことなども勘案しなければなりません。
これはなかなか難しいことです。松尾芭蕉は俳諧作りには“不易流行”が大事であると言っています。「変わらないもの」と「変わっていくもの」―つまり「伝統」と「革新」がせめぎ合うところからしか新しいものの創造はないと考えていたようです。
京都というところは、これらのことを各時代通して常に繰り返し、繰り返し行っているところです。
いずれにしても、趣味の菓子作りか、商品としての菓子か、ということが基本的にはあるのではないかと思います。いろいろと難しいことが多くありますが、頑張ってください。
今年のテーマは「蕪村と若冲」。ふたりは同年生まれで、一時期、京都で近くに住んでいました。その画風は全然違うようにも見えますが、案外、重なるところもありそうです。
俳人でもある蕪村の“句”から発想した作品もみられ、この公募展の新たな方向性を示して、たいへん興味深かったのですが、応募作のテーマの多くには若冲が選ばれていました。同時代の蕪村の世界を、菓子で新たに表現するとすれば、どうなるか? ―これはなかなか難問だったようです。
応募数が増えるにしたがって、年々、水準も上がってきており、実作部門にもデザイン部門にも、出来上がりが楽しみな作品が増えたと思います。今年から学生部門が設けられたことにも、展望がもてます。ただ、デザインが斬新になればなるほど、京菓子らしさが失われるというジレンマも。形は菓子らしさを保ちつつも、色彩が菓子ばなれしているものもありました。あくまでも食べ物としての菓子という枠のなかで、やはりここは、現代の「用の美」が期待されるところだと思います。
俳句や絵画を和菓子にすることはイメージがふくらみ、たいへん面白い試みです。今回の審査で、私が評価したのは茶席菓子実作部門の「悠々」という作品。形の新規性、そして懐かしさもあり、しかもおいしそうだったのが印象に残りました。
最後に、そろそろ3Dプリンターで作られた京菓子の登場を望むところです。また、その逆で3Dプリンターでは絶対にできない京菓子もぜひ見たい、と思っています。
蕪村と若冲、いずれを選ぶにせよその世界観は、手のひらの菓子に写し取るのに、比較的、特徴を捉えやすいものであったことが応募作品から感じられました。それだけに、通りいっぺんにならないような造形への思考、工夫が凝らされた作品に心魅かれるものがあったように思います。
この公募は、江戸時代の京都に花咲いた芸術を、ひとつの和菓子に象徴させることを試みるものです。京菓子の新しい表現へのステップアップを若い応募者の作品の中に見出せたことが、たいへん印象的でした。
公募による菓子展も3年目を迎えました。「京菓子とは何か?」「なぜ公募にするのか?」「なぜ若冲のような難しいテーマをもうけるのか?」などという問いをつねに投げかけていただきながら、ついに審査の日を迎えました。ドキドキとしながら蓋をあけてみますと、去年にも増して多くの応募をいただいたとのこと。まずはご応募くださった方々に、心より感謝を申し上げます。そして、デザイン画や実作の写真をみて、去年よりも選ぶのが難しい、つまり、大きくレベルが上がっているという、嬉しい悩みを抱えることとなりました。ここに発表させていただくのは、先生方と長い時間をかけて、評価と議論を重ねた結果です。
さて、毎回、審査の過程で「京菓子とは何か?」という、そもそもの定義への議論が巻き起こります。その議論が楽しいのですが・・・ 答えは永遠に出されないことでしょう。しかし、毎年少しずつ、それが紐解かれていくかのような感覚を味わっています。
京菓子とは何か。一言で言い表すこともできないし、人によって見解も異なるけれど、だからこそ面白いのだと実感しています。これこそが「文化」なのだと、その歴史の重みに頭の下がる思いをするとともに、ここにまた新たな歴史の一歩が刻まれる喜びを感じております。
今後も、より多くの方々に、伝統理解と文化創造の「主体者」として「参加」していただくために、「公募」という仕掛けを続けていくことができればと思っております。