年を追うごとに菓子の完成度が上がってきている、と感じます。今年はことに茶席菓子実作部門での応募も多く、最終選考に残った37件の実作は、いずれも優作で審査に困る状態でした。一方デザイン部門は発想が自由で、それを菓子として実現するのが難しいものもありました。しかしそのくらいの方が、部門ならではの良さがあるのでしょう。学生諸君の作品は件数は少ないものの、熱心な創作態度がうかがわれました。テーマとして禅という未知の世界が提示され、どのように表現するか、応募する側も審査する側(お一人を除いて)も明確な基準はなかったでしょう。ただ禅というテーマから、単に見てくれではなく、内省的な、菓子への思いを深める方向が生まれたのではないか。新型コロナ禍の時代、あらためて自己とは何か見つめ直すことが求められる中で、それに菓子を通して挑戦しようとする試みは、時宜を得た企画であったと思います。
今年のテーマは「禅」ということで、どのような作品と出会えるのか、楽しみでした。色合いも白黒を基調としたものから、赤、青というカラフルなものまで、形もシンプルなものから大胆なものまで、非常に多彩でした。食感、味も意外性に富んでいました。決して奇をてらったものではなく、ひとつひとつに作者の思い、こたわりがありました。自己を映し出す鏡といえましょう。このような時代だからこそ、じっくり自己を見つめ、考えることが必要かもしれません。これまでのテーマであった「琳派」「若冲と蕪村」「百人一首」「源氏物語」「万葉集」とは異なり、デザインや造形面ではお手本、お約束事が少ないだけに、難しい面もあったことでしょうが、反対に制約が少ない分、自由な発想で表現し、取り組むことができたかもしれません。京菓子を通じて「禅」の教えを考えるきっかけにもなりました。「京菓子デザイン公募展」そして京菓子のさらなる発展に期待します。
「コロナ禍の落ち着かない社会状況の中、今年も多くの作品が寄せられ京菓子のこれからを切り開いていこうという気持ちが感じられました。京菓子デザインの重要な切り口は、テーマを深く理解した上で、自分なりの切り口を見つけ、そのコンセプトを表現するために、出来るだけ雑音を切り捨て、多くの人の心に響く最適な存在に抽象化することにあります。今年のテーマ「禅ZEN」は、そのものが抽象的な存在なので、いつもとは逆に人々が没入していくための「きっかけ」として、適度な具体を見つける必要があります。それは「かたち」であり「色」であり、もちろん「味」であり、「香り」「触感」であったりします。それらをトリガーに再度「禅ZEN」という抽象世界に人々を誘う。そうしたデザインが求められたと思います。今回入選された方は、そのトリガーが明確であり、イメージを膨らませ、心を響かせる抽象化が適度で、美しくまとめられていたものです。これからも、独自の切り口を見つける目と、抽象化をイメージする思考、それらを最適に表現する技術を磨いていただければ、京菓子デザインの未来もより豊なものになると感じました。」
禅という本当に奥深く人間の生き方に関わり、また自然との関わりを持つ、そうした重いテーマをお菓子で表現するとどういうことになるのか楽しみにしながら見せていただき深い感銘を受けました。弘道館の濱崎館長、太田代表理事をはじめ本当に多くの方にご尽力いただいたことに敬意を表します。多くの応募があり、禅を感じる作品をはじめ、このテーマを楽しく理解して挑戦していただいている作品もあり、多様性を感じました。外国からの応募もあり、欧米などで禅に対する関心が非常に高まっているということも実感しました。コロナ禍において、多くの方が自然を見つめる、自分を見つめなおす、そのような素敵なテーマであったと思います。
ふと立ち止まって…。計算し尽くされた数学的な作品。極限までそぎ落としたシンプルで洗練された作品。味・香り・食感・デザイン、すべてにひねりを効かせた愉快な作品。今年もたくさんの作品に目と心を奪われた。いずれにも共通するのが、ふと立ち止まって考えさせられること。ご来場の皆様にも、ぜひ京菓子を通して、禅の世界に触れていただきたい。
全体的に大人しい印象を受けました。今まで見せていただいたのはパッと目を引いたりとか面白いと惹かれるのが多かったですが、今回は 平均的に茶席に合うようなお菓子が多かったと感じました。テーマが禅ということも関係しているのでしょうか?禅の中に激しさを求めるか落ち着いた静の方を求めるか雰囲気が変わると思いました。今回は新型コロナウイルスの流行というなので、みんながはしゃいだ感じではなく、落ち着き、静かにテーマを感じて見つめたのではないかと思います。素材が面白いものが結構ありました。餡に工夫が凝らしてあったり、見た目は大人しいですが食べるとちょっと雰囲気が変わっているというものが多かったと思います。例えば、自分が禅とかいろいろ考えるとどうしても味噌餡とか大徳寺納豆とかそういう素材が浮かびますが、今回味噌餡などを使っているお菓子が少ないと感じました。傷みやすいから敬遠されたのかもしれません。素材でお寺とか禅の心を表したりできたなら、また面白いだろうなと思いました。この様な世の中で、動きが鈍かったりお茶会自体がなかったりとお菓子の発注がなかなか無く、お菓子屋さんにとっては苦しい時代になっています。自然にお茶会をし、昔どおりにならなくてもお菓子を注文して色々な趣向を楽しむ 。そういうことにより、お菓子を発注する文化・新しいデザインのお菓子が生まれてくると思います。今の状態では世の中が止まってしまっていますが、何かを生み出すには、元となるものが動いていないと変わっていかないので、こうやってお菓子の形や、いろんなことを考える、このような機会を皆さんがもたれる事は良いことだと思います。
「禅ZEN」というテーマが功を奏したのか?とてもイメージ豊かな作品が例年になく集まった。茶席菓子実作部門では、技術はもとよりそのデザイン性の高さが目を引いた。味をも感じさせるそのフォルムと色彩はまさに食べる芸術作品の真骨頂である。デザイン部門において、例年思うことは職人の方々とのコラボレーションという印象が強く、そのデザイン画と実作の相違も楽しみの1つとなっている。京の職人のその技が光を浴びる結果にもつながっている。総評としては、採点時にテーマ性が乏しい作品が多く散見されたことが少々残念であった。京菓子の概念を変容させるようなテーマ性にあふれる作品が生まれることを期待したい。テーマには、そのような力があると信じている。多様性の時代にコンセプト、表現ともに多様性あふれる作品が来年も数多く生まれることを期待したい。最後に本年も京菓子の魅力を堪能させていただきありがとうございました。
今年の京菓子展は、感染症拡大の状況を鑑みて、熟慮の末に開催されたが、あらためて京菓子展の意義を問い直す機会でもあった。折しもテーマは「禅」。禅語と銘は相性が良さそうだが、禅の抽象的なイメージは形になるだろうかと懸念した。蓋を開けてみればすべてが杞憂で、多数の応募があり、とりわけ実作部門は力作揃いであった。応募作品は多彩で、枯淡や閑雅だけではなく、華やかさ、大胆、可笑しみなどにも禅味があった。印象に残ったのは、錦玉羹効果が面白い〈響き〉、伊勢型紙のように繊細な「すり込み」を施した薯蕷、木の実と道明寺の〈紅炉上一点雪〉など。審査員賞には、もっとも簡素な〈理想の生き方〉を選んだが、銘が残念。これが「円相」そのものであることに作者は気づいておられるだろうか。不要不急のものが、実は切望されている。京菓子の小さな世界は「壺中の天」そのもので、心ゆくまで遊んでいられる場所ではないだろうか。
コロナの大変な社会状況の中、高校生から年配の方まで大勢の皆様にご応募いただけましたこと、まずもって心より御礼申し上げます。禅語や禅画、昔の逸話などさまざまな禅にまつわる素材を勉強され、それを見事に和菓子として表現されていたことに大きな感銘を受けました。その中でも特に大賞を受けられた「両忘」は印象的な作品で、「不二」という禅の教えをシンプルかつ鮮やかに表現されていたと思います。もちろん、お味も大変おいしく頂戴しました。また、審査員賞を贈らせていただいた「鏡」は、高校生ながらも馬祖道一禅師の逸話を用いて美しくデザインに落とし込まれたところに感銘を受けました。禅は実践・体験の宗教です。これからも和菓子を通して禅のすばらしい教えを表現し、世の中に広くお伝えいただけましたら幸いです。ありがとうございました。
テーとなった「禅」ですが、一般的なイメージは質素で哲学的瞑想的、色でいえば、白黒のイメージが強いと思われます。食物では精進料理ですし、菓子で言えば、干柿であったり干菓子が想起されます。このコンクールの京菓子は、お茶の世界での主菓子のジャンルですので、その多様でむしろ華やかな色合いと禅の禁欲的な世界とのマッチングが難しいと思いました。興味深いテーマです。入賞した「糸ひかり」や「吾唯知足」はクールな水色の単色、無色の円形で何の飾りもない作品で妥当な選定だと思います。「心づく」は落ち着いた2色のあつかいと小さい金箔のアクセントで傑出していました。抽象的な発想から取り組んだ作品が多い中、「月はどこ?」は禅画の具象形をできうるかぎり写実的に菓子にとりこんで異色の作品であった。高度な技術とともに称賛したい。全般にレベルが高く、審査に苦労したが、楽しみも多かった。来年も期待したい。
コロナ禍にあって、自然への感謝の意とともに、文化とは何か、学びとは何かを深く考えさせられる年である。テーマとしての「禅」は、やや難しいのではないかと感じていたが、結果的には、多くの応募があり、そのことから、改めて菓子の力、文化の力を確認することができたのも嬉しいことだった。菓子を「作る」もしくは「デザインする」ことを通して「禅」を考えることは、すなわち自らと向き合うことでもあり、その経緯がそれぞれの作品を通して浮かび上がっていることに心を打たれた。